その道具を何のために求めるのか。

その道具を何のために求めるのか。

向学心、向上心、成長意識の大切さは腐るほど語られるし体感としてもわかっている。
できること、生きるために使える道具は多い方がいいと私自身思っている。
だがたまたま、「そんなに出来ないことに焦らなくてもいいんじゃない?」という体験談をふたりから聞いて書き残しておきたくなった。

やりたいこと―やりたくないこと―やらなくてはいけないこと
得意なこと―苦手なこと
好きなこと―嫌いなこと

たとえば仕事について、これらの掛け合わせで物事は分類できる。
それぞれ人やタイミングにより分量は違うだろうが、やりたくないけどやらなくてはいけない、ことが意識されやすいし、不快であるから、仕事は概ね不本意で億劫なことが多い(と思う)。

もちろん、目の前に突き出された仕事であれば、やるだろう。仕事だし。
問題は今やらなくてもいいけど、やらなきゃ、と思っていることだ。

こんな不安定で変化の激しい時代だから、「まあ今のままでいっか」と言い切れる大物は少ないのではないだろうか。
私だってふと途方に暮れる瞬間がある。
私にないものを数えると無限に出てくる。
たとえば資格、経験(技術)。
英会話ができないし、プログラミングはもっとできない。
調査やプロモーション周りだったら多少わかるけどその知識もどんどん古くなってる。

まっさらな状態で何ができる、と胸を張れることは残念ながらすぐ思い付かない。
だけど、ないないない、と焦ったって、それを手に入れれば万事オッケー、なんてことはなく、「ある」ようになった先から、もっともっと、あれもこれもとなるだろう。

それが向上心であるうちはいいけれど、ただの焦りと不安と自己評価を下げる事になるとしたら本末転倒。
何のためにそのスキルを手に入れるのか、スキルを手に入れることが目的化していないだろうか。

 

「あれもできない、これもできない」と焦っているときは、「できない」ことではなく「見えない未来」、歩いている「この道の先の不確かさ」に耐えられないだけなのだと思う。

その手応えのなさを、何かを闇雲に掴むことで解消しようとしているだけではないか。
未来への不安は何かを「できるようになる」ことでは決して解消できなくて、自分が歩いて行くべき道を踏みしめなおすことしかないのではないかしら。
その上で勉強や訓練が必要ならば、もう少し余裕を持って取り組める気がする。

焦るのをやめて、今取り組んでいるものにもう一度真摯に向き合う。やるべきことをちゃんとやる。
そこで本当に必要なものが見えてくるのではないか。
話を聞いたふたりも、そんなようなことを言っていた。
「できるようにならなきゃ!」と危機感を感じていたことは結局出来ないままだけれど、それを補う成果を本来やるべきことで出すことができた、と。
それは一番大事な軸を忘れなかったからこその結果だと思う。

だから、理想の自分と今を比べて足りない部分を嘆くのではなく、どうやったらそこへたどり着けるのかをまず考える必要があるのではないか。
何を成し遂げたくて、辿り着きたくて道具を手にするのか。
そもそも私は何をやりたくて何が好きなのだろう。 

それを定めることができれば、心と時間とお金を使うべき場所に使える気がするよ。

 

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