穂村弘『はじめての短歌』

穂村弘『はじめての短歌』

慶應丸の内シティキャンパスで実施された短歌講座をまとめた一冊。
先日の講演会とかぶっている点が多々あり懐かしさを感じる。

『はじめての短歌』と題されているが、短歌の詠み方なんてまったく教えてくれない。
ある歌を提示し、その改悪例を列記して、なんで元のほうが優れているのかを解説する形式。

人間はどうして想像力が衰え、世界が閉じていくかを痛々しいほどに感じてしまった。
全編通して語られるのは「生きること」と「生きのびる」ことは異なっているということ。
短歌の言葉は「生きる」ことに紐付いている。
だから短歌を詠むには社会的に生きのびるため矯正された感覚を解放してあげなくてはならない。

社会をうまく泳いでいくために必要な言葉や表現は、伝えるべき情報が過不足なく含まれており、その解釈は誰が読んでも同じであるのが望ましい。
だがその言葉には当然情緒は全くない(必要ない)。

「え、何を言ってるの?」
と読み手が考えてしまう僅かな時間が、書き手とのコミュニケーションであるという提示はとても示唆に富んでいる。
曖昧さ、ブレのない社会や関係性は効率的だろうが面白くない。
読んでいるうちに自分の価値観や人間性を改めて反芻した。
メリットの有無を全てに優先させたり、偉い人に媚びたり、人を蹴落としたり、そういう生きのびる上で最善の選択肢を選ぶ人は嫌いだし見苦しいしそんな風になりたくないと思っている。
だが同時に、そういう人が社会的に、経済的に成功することがあるのも理解している。

じゃあ自分もそうやってみるかと考えたら、まったくそんな気はしなくて、つまりそこまで自分は生きのびることに価値を置いていないのだ。

媚びたりおもねったり、うまくズルしたり、愛想笑いをしたりできずに真っ向からぶつかってしまう頑なさを咎められ親や周囲と対立してきたし、自分でもどうしてこう意固地なのだろうと思うこともある。
だけど今親しくしている人たちや自分が好きな人はみんな誠実で真摯に向き合ってくれるから、これでいいのかと思っている。

たまに経済的な成功とか地位とか名誉とかに邁進する人と共存する辛さを感じるのは、その生きのびようとするエネルギーの生々しさに耐えられないからかもしれない。
だけどそれが今の社会で生きのびることに必要な要素だとしたら、生きる世界を変える必要があるのだろうと思う。どこにあるのかわからないけれど。

短歌の世界の深さと共に、「現代社会を生きのびる」ことを強いられる苦しさを感じてしまう一冊だった。

(読了日:14/6/14)

穂村弘『はじめての短歌』
出版社: 成美堂出版 (2014/03)

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