今村夏子『こちらあみ子』

今村夏子『こちらあみ子』

『こちらあみ子』

多数派の中に生きる異物を、異物の視点から描いている物語である。

あみ子が小学1年生から中学を卒業するまでの日々が描かれるが、これは少女の成長物語ではない。
あみ子は重度ではないが知的障害、多動などがある女の子。感情をコントロールできず衝動的で、社会性はなく人の気持ちを考えることができない。
幼いころは風変わりで済まされていたが、他の子供たちが社会の中に馴染んでいく中であみ子だけが取り残される。周囲はあみ子に振り回され、疎み、敬遠する。
あみ子はいじめを受けたりバカにされたりしてもその意味を理解できず、あみ子自身も多くの人に迷惑をかけ、傷つけるがそれが悪いことだと気づけない。
あみ子だけ最後まで変わることはない。

あみ子の母は書道教室を営んでいて、あみ子は教室にやってくる同じクラスののり君に恋をする。嫌われて拒絶されても正面からぶつかって行く。
こののり君への恋心と、母が物語のキーである。

死産とそれを発端とするあみ子の行為から母は心が壊れてしまった。
あみ子は自分の行動が及ぼす影響と結果を想像できない。母がどうしてそうなってしまったかわからず、事態はひたすら悪化して行く。

最初は独特のズレたテンポと発散するあみ子の言動についていけないのだが、意図的に隠されていた母の事情がわかってから物語は一層深味が増す。
ぐだぐだに感じたあみ子の混沌が、作中の世界にどんな影響を与えるのか想像し、捉え方が変化する。

三人称で書かれているが、頭の回らないあみ子のレベルで物語は紡がれる。だが読者は世界を拡大して想像することができる。
書かれていない登場人物の心理変化、決定的な破滅を察し、あみ子に苛立ち、他の登場人物に同情する。
物語世界をつぶさに描く小説が、世にあるほとんど全てだけれど、これは書かれていない部分を読者が想像することで補完し完成される。高度なつくりだ。逆に読者の想像力に依存する部分もある。

あみ子は正常な世界において明らかな異物であるが、当然本人は自分と他者の差に気づかない。
あみ子は邪魔者扱いされボロボロになっていくのだが、そうなるにつれだんだんと不思議な愛しさを感じてしまう。

頭の弱い子だからしょうがない、我慢しよう、という諦念が、あみ子を消極的に排除させていく。それは正常な世界を運営するために必要なのだと判断する物語の中の人々から、それもしょうがないと思ってしまう私自身から守ってあげたくなる。
そういう心理になると、さらっと描写された内容のひとつひとつにあみ子と世界の壁を感じる

最後は父もあみ子を諦めてしまうが、それすらあみ子には理解できない。
死産した子、のり君、あみ子の兄。
あみ子の目を通して得た情報が事実と異なっていることを知った時、結局あみ子に共感しても同じ感覚を持てないことがわかって愕然とするのだ。
世界を共有できない人と一緒に生きるのは難しいのだと残酷にも納得してしまう。

朝日新聞に掲載されたほむほむの書評が収録されているが、それも秀逸。
あみ子は正常な世界で生きていくことは出来ないと感じながらも、世界の外側に行ける彼女に少し憧れてしまう感情。

中学を卒業する時、のり君の習字を探すシーンでこれは恋愛小説なのだとわかった。
その時、あみ子が可哀想だと初めて思った。

『ピクニック』

とある地方都市にあるレストラン。ウエイトレスがローラースケートを履いて接客し、ダンスをする軽いテンションの店に、雰囲気の合わない女が採用される。
皿洗いのつもりで応募したがウエイトレスをさせられることになった七瀬は、全国的に有名な若手お笑い芸人と交際していると触れ回る。
ギャルっぽい若いウエイトレスたちだが、年が離れていて地味だけどいい人間である七瀬に好感をもちなついていく。ウエイトレスたちは七瀬の話を真実だと受け入れ、いつか彼女が幸せになる日が来るように応援する。

読んでいる側からしたら妄想としか思えない七瀬の言動を本当のこととして信じるウエイトレス立ち。
この虚構の世界はあみ子とは逆に、異質な世界に正常な人間が”空気がよめない子”として登場している。

あみ子との対比では興味深いのだが、終わり方が今ひとつ。

痴呆気味の老女の家に出入りする主人公の掌編『チズさん』も物語としてふわっとしすぎている感が残った。

正直表題作がずば抜けているため他の2作が霞む。

 

この作品以来、たびたび新刊をチェックするも見つけられなかったのだが、『あひる』が芥川賞候補となって今村夏子の地力を感じる。
今後新しい作品を読むのが楽しみ。

(読了日:14/7/31)

今村夏子『こちらあみ子』
出版社: 筑摩書房 (2014/6/10)

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