臆病だから転職する(前編)

臆病だから転職する(前編)

ご縁あってプレジデントウーマンに掲載いただき、ロールモデルになるようなキャラでもないし、
キャリアや年収の面で言えば特筆すべきものではないけれど、
社会人7年目で3回転職したというのはなかなかに回数こなしているんじゃないかと我ながら思う。

そこそこの学歴があることも手伝って私はキャリア志向の強い、計画的な人間だと思われることがあるが全くそんなことはない。

むしろひたすら臆病であるから転職をしてきた。
更に、正直に言えば「これがやりたい」というほどのことを見つけられないという、巨大なコンプレックスを背負っている。

これまでも日記などで、転職の動機を書いてきた。
転職の動機は決定打があるというより、色々な要素が絡み合っている。
でも全てをつまびらかにすると複雑になるので、今回は私の性格を軸に振り返ってみることにする。

 

おとなになるつもりはなかったあの頃

そもそも、自分の将来について真剣に向き合ったことがなかった。

私は物心ついた時からノストラダムス信者だったので、
「1999年に世界は終わる」
と思っていたから、
「おとなになる」
ことがイメージ出来ていなかった。

また最近まで中二病を変な方にこじらしてもいたので、
「私は長生きできない」
と思っていて、とてもじゃないけど20代後半までは生きているとは思わなかった。
その年齢で死ぬなら仕事なんてどうでもいいのである。

それでも将来の夢というのは持っていた。
ただいつまでも、子供が「お花屋さんになりたい」というような類のものだった可能性は否定出来ない。
人並みに医者や弁護士に憧れたときもあったものの、主に学力と適正の面からチャレンジすることもなく憧れで終わり。
比較的真剣に考えたのは刑事と新聞記者だったが、こちらも特段チャレンジすらすることもなかった。

ミステリや海外ドラマが好きだったから、進路相談で
「私FBIに入りたいんです」
と真剣に言うくらいの女子高生だった。

そういえば物書きというのも選択肢にあったけれど、村上龍が『13歳のハローワーク』で、
「小説家は犯罪者でもなれる仕事、最後にとっておくべし」
的なことを書いているのを読み、また本好き故に、
「10年残る作家はほんの一握り」
ということを実感していたので、その道を真剣に考えたことはなかった。
正直なところ自分が早熟なる天才でないことを悟った部分が大きい。自分の価値に若さの下駄が必要ないと思えたら、いつでも書くことは始められる。

そんな将来についてファジーな私は大学の進路を決めるとき希望は1つ、「東京に行きたい」ということだけだった。
高1で化学と数学につかまり理系の夢破れ、高3で国立大の夢破れ、私立文系しかなかった上に一浪している。
まあここまでは自分がアホだったからいいのだが、第一志望の大学は親に反対され入れなかった。落ちていたらまだよかった。正直この衝突をかなり引きずって、最初の会社を辞めるくらいまでは親を恨んでいた。

 

しばらく死にそうにないから働かなきゃ

二十歳を超えたころから、自分はどうやら夭折タイプではないらしいことに気づきはじめた。
ということは、働かなくてはいけない。
だから私は就職活動に真剣に向き合った。
理由は、ただ1つ、
「人生のリスクを減らすため」
である。

冒頭に書いた通り、私は単に臆病な人間なのである。
贅沢はしないが節約もできないので、困窮した日々を送ることに怯えている。
かと言ってわがままなので、やりたくない仕事はしたくない。
自分が楽しいと思える仕事ができなくなることを恐れ、更には職を追われてホームレスになったりしないか不安になる。

さほど能力は高くないし、志もないので努力ができない。
能力よりも後者が実は大事で、
他に何を犠牲にしてもやりたいことはないというのは、実はとても大きな弱点なのである。

なりたいものはたくさんあった。やりたいこともたくさんあった。でも、それが手を伸ばせば届く距離にないと気づいたらもう目線がずれていた。

就職活動でも感じたのだが、「好きこそものの上手なれ」と言うように、仕事や会社を愛している人には到底太刀打ちできないのだ。
私は自分が一番好きである。だからいつかは自分の名前で食べていけるようになりたいというのが漠然とした未来だった。

しかし私は臆病なので、当然そんな無茶はしない。
だから自分の好きなことはなにか考えて、それに携われる業界を対象に就職活動をした。結果は第三志望くらいの業界に決まった。

もっと志望度の高い会社も惜しいところまでいったから残念ではあったが、結果よりも、私は自分の「やりたいことがない」という部分をつきつけられ非常に傷心した。
第一志望の業界に入る方法はいくらでもあった。転職でもチャンスはあった。けど今日まで、私はまったくそちらへ向かって動かなかった。
自分はその程度の好きしか持てない人間なのだということが今も残念である。

今は大分折り合いがついてきたけれど、この時の感情は古傷として残っている。
志望度の高い会社に入っていたらまた私の人生は違っただろうから、この感情は防衛機制なのだろうけれど、やはり私は本質的にやり遂げたいことがないのだと思っている。

 

仕事は自己実現の場ではない

最初に入った会社では本当に多くのことを学んだが、仕事=私ではない、ということを教えてくれたのが一番の実りだった。

これは別に悲しい事実ではない。
むしろ、仕事は私の核だと考える必要はないと気が楽になった。

社会人1年目の時、作業中のデータを個人用PCに保存していて、私が離席している時上司が確認できないということがあった。
戻ってきた私に上司は
「昼休み中にあなたが車にはねられて意識不明になっても滞り無く進められるようにするのが仕事なの」
と言った。

このエピソードを話すと、
「そんな換えがきくような仕事嫌だよね」
と言う人もいたけれど、その時の私は上司の言葉がとても腑に落ちた。
仕事はアウトプットしか価値がないのだと分かったのだ。

私がやった仕事を褒めて」
という感情は、会社にとっても、顧客にとっても1ミリもプラスを与えない。
「○○さんのやった仕事」
が評価されるのなんて、世界のごくごく一握りしかいない。
しかもそれは正確には仕事の質ではなく、やった本人のブランドや経験、パーソナリティに紐付いた評価である。

それで私は、
「有無を言わせない仕事をする、役割を果たす」
だけを追い求めることに決めた。

人の気持ちはコントロール出来ない。でも仕事は自分の努力でどうにかなる可能性が高い。
ぶっちゃけ仕事で成果をあげられたら、上司なんてどうでもいいと思っていた(だからかなり嫌われた)。
でも嫌われたってやるべきことをやっている人が会社では正なのである。
扱いづらい後輩だっただろう。
うまくいかなかった人も多かったけど、やるべき仕事の成果という軸をお互い持ってコミュニケーションできていた人とはそれなりにうまくやっていけた記憶がある(思い込みじゃなければ)。
思い返してみれば社会人生活の中で、人格否定的なことをされ、パワハラを受けたたこともあるけど、仕事と私の人間性は別だと思っていたので病むこともなく、痛くも痒くもなかった。

もっとうまいやり方があったと今では思う。
でも仕事の成果ではなく仲の良さで物事が決まっていくのには耐えられなかったし自分はそんなに器用ではなかった。
だからその競争からさっさと降りることにした。

今の職場はとてもよい関係が築けているけれど、当然悪い時期がくることもある。
そんなときも、仕事という軸があって、それ以外の要素で相手をコントロールしようとしなければうまく先へ進めると思う。

 

臆病だから先手を打つ

私が最初に転職活動を始めたのは、社会人2年目の秋である。
1社目は日経新聞の子会社で、リーマンショックの余波などで業績は下がりつつも、親の仕事もあり低め安定していた。
いい会社であった。
1年目から大きな裁量が与えられ、リサーチのプロとして経験も責任も積める。
しかし、私にはリサーチャーとしての自分のキャリアが不安だった。
リサーチャーを続けるとしても、ITの取り入れがとても遅く動きも鈍い、この会社にいて果たして私はサバイブ出来るのか?
私は自分がリサーチ業界で生き残っていく画が思い浮かばなかった。
目覚ましい程の社会の変化を感じていた。転職前に震災も起こった。
「ここにいて、変化に耐えられるだろうか」
私は自信が持てなかった。

転職活動を始め、転職市場の厳しさを知り、選考に落ち続け、私は恐れ戦いた。
転職活動をすると、不思議なほど自分の会社が泥船に見えてきた(嫌いになると嫌なところがどんどん出てくるパターン。逆に転職活動して今の環境が恵まれていると気づくこともあるだろう。)。

エージェントを使った転職は思うように行かず、自分の将来も見えず、心折れ気味。
その後数ヶ月ブランクがあったものの、久しぶりに見たリクナビネクストで見つけた会社にエントリーし、トントン拍子で転職が決まった。

2社目はIT系の上場企業(今年東証一部に上場替えした)。
ローテクのリサーチ業界じゃない、最先端のITだ、なんて単純なことではないが、
「変化に対応力がありそう」
という点が魅力だった。
業績が苦しい時期もあったけれど社長が賢い人なので大きな不安はなかった。
しかし、社長と近い位置で仕事を続けるうち、新たな臆病心が顔を出す。

「突然クビになったら、私生きていける?」
不安の芽を抱えているところに、メンタルを痛めつけられる出来事が次々起こり、私は2回目の転職を考えはじめたのである。

 

後編へ続く

Pocket