穂村弘『ぼくの短歌ノート』

穂村弘『ぼくの短歌ノート』

『群像』の連載をまとめた一冊。
各回、テーマに沿った短歌を近代短歌〜現在まで年代問わず、また歌人も与謝野晶子や寺山修司など有名所から素人の投稿した短歌まで広く集めて考察する。

これまではどちらかと言えば歌から読み取れる作者のストーリーを想像するような物が多く、エッセイ的な楽しい読み物であったが、今回は短歌とは何か、なぜあえて「五七五七七」という形におさめるのか、表現形式としての短歌の役割を見た気がする。
相変わらずウィットに富んではいるけれど、選ばれている短歌もそれをネタに説かれる内容も骨太であるので、少々込み入った部分も。
表現や構造についての解説や短歌という表現手法に基づいた考察があるので、短歌を詠む人は学びも多いと思う。
日常の中の特異点をきっかけにして、今の裂け目からこぼれた永遠性を表現するのが短歌であるという捉え方はなんとも風流である。

特に興味深かったのは、字余り・字足らずなど、短歌の「フォーマット」を崩した歌について。
これは「ちょっと破ってもいいルール」なのではない。
「ルールを破ることについての意図」があるということに気付かされた。
あえて定形を外すことにこめられた意味。
これは他のことにも当てはまり、基礎がしっかりしていない人は応用を仕掛けても単に『ひとりよがり」なんだなと。
基本を守ってそこからどう一歩二歩はみ出るのか。
他の物事にも当てはまるなと思った。
さすが平安の世から続く文化、歌が上手ければ引く手あまただった時代に思いを馳せる。

 

その他 いくつか好きな歌を

最期には納得できず死んでいく和牛たちよ今年は干支だ(二宮正博)
バス降りし人ら夜霧のなかを去る一人一人に切りはなされて(大西民子)
北浦和 南浦和 西浦和也 東浦和 武蔵浦和 中浦和と無冠の浦和(沖ななも)
間違って押してしまった階数にきちんと停まる誰も降りない(磯部真実子)
間違って降りてしまった駅だから改札できみが待ってる気がする(鈴木美紀子)
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております(山崎方代)
殺したい奴がいるのでしばらくは目標のある人生である(枡野浩一)

わが使ふ光と水と火の量の測られて届く紙片三枚(大西民子)
この歌は「光熱費の請求書が来た」ことを表している。
短歌とはなんとも風流である。

(読了日:15/8/11)

穂村弘『ぼくの短歌ノート』
出版社: 講談社 (2015/6/16)

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