小川洋子『琥珀のまたたき』

小川洋子『琥珀のまたたき』

幼い末娘が急死したことをきっかけに、母親は「魔犬」から3人の子供を守るため高原のはずれにひっそりと建つ別荘に引きこもる。

子どもたちは元の名を捨てさせられ、長女はオパール、この物語の語り手となる長男は琥珀、まだ幼い次男は瑪瑙という新しい名前で暮らすことになる。

正妻のいる父親が慰謝料代わりによこした別荘に移り住んだ4人。
母親は外に働きに出かけるのだが、子どもたちは11歳、8歳、もうすぐ5つになる歳から、母親の言いつけ通り、魔犬に怯え、屋敷から一歩も出ること無くひっそりと成長していく。
外に出ると魔犬に殺されるという呪いを母親から与えられた子どもたちの世界は屋敷と、高い塀に囲まれた庭だけで、日々はとても単調である。
曜日や季節の感覚も無くなり、自分が何歳かもわからなくなる中、3人だけの遊びを生み出し、それぞれに秘密の習慣を持ったり、歌ったりして日々を過ごす。
ある日、琥珀の左目に飛蚊症のような症状が現れ始める。それをきっかけに琥珀は死んだ妹の絵を図鑑の余白に描くようになった。出版社を営む子どもたちの父親が別荘に残した図鑑に、琥珀は妹の姿を描いていく。

特異だが平穏な日々を過ごす家族だったが、3きょうだいの前によろず屋のジョーという謎の男が現れてから少しずつ3人の世界は変化していく。
オパールや瑪瑙が段々と自分たちのとどまっている場所への違和感をふくらませ、外の世界へ惹かれていく気配を感じ取りながら、琥珀だけは最後まで母の作った世界に生きようとする。

端的に言えば、気が触れた母親に監禁され育った3人のきょうだいの話なのだが、小川洋子が書くと寓話のように繊細で美しい世界になる。琥珀が図鑑に妹の絵を描くのだって、要するにパラパラ漫画なのだが、よくもそれをこんな宝物のように描けるなと感心する。

 

小川洋子は、独特で精密な世界を作り上げるから、それに馴染むまで忍耐が必要。
ちょっとした波乱や危機は訪れるものの、3人の子どもたちの日々はとても穏やかで、よろず屋が出てくるまで結構退屈なのだが、そこを乗り越えるとどっぷり入り込める。

この作品もそうであるが、小川洋子の小説は、主人公が穏やかに暮らす世界にほころびが見え始めて、崩れ出すところから面白くなる。

同時に、物語が進むにつれ「普通の世界」に押し出されていく主人公をあまり幸せに感じないことが多いのだが、この物語の琥珀は特にそう感じた。
端から見ると異常だけど、登場人物たちにとっては幸せな無菌室で暮らしていたところに、無理やり変化を与えられる。ひどい仕打ちだ。

別荘で過ごした日々から数十年経ったあと、琥珀が年を取り、老人ホームらしきとろこで暮らしている場面が各章の頭に挿入されている。
琥珀という名を離れ、本名であるアンバー氏と呼ばれる彼が幸せなのか判然とせず、切ない読後感だった。

死んだ妹、そしてきょうだいや母が生き続ける図鑑の余白の、そのページがめくれる様、そして琥珀がもう機能をなさない左目に死んだ妹を宿していることをそっと伝えるタイトルが美しい。

(読了日:15/9/13)

小川洋子『琥珀のまたたき』
出版社: 講談社 (2015/9/10)

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