吉田修一『怒り』

吉田修一『怒り』

『悪人』と同系統のノワールな物語である。
タイトルの『怒り』は、物語の発端となる殺人事件の現場に残された犯人のメッセージだが、作中にあふれるのは怒りのようなアクティブな感情よりも、悲惨ではないが自分が望んだ物でもない、平凡な日常への諦念である。

テーマは誰かを信じることだろうか。
登場人物はそれぞれの立場で、他者も、自分自身に対しても、「信じる」ことの難しさに苦悩する。いっそ誰にも情を持たず、信じることも無ければシンプルに生きられるのかもしれない。
だけど決してそんな風に器用には生きられないというのが難儀だ。
※以下ネタバレの要素あり

八王子で若い夫婦が惨殺され、すぐに山神一也という男が容疑者として浮上したが、事件から1年が過ぎても山神は捕まらず、逃亡を続けている。

物語は4つのパートで展開する。

犯人を追う刑事の動向により、読者は事件についてと大枠の流れを把握できる。刑事のパートが話を進める役割を担うわけだが、物語の本筋は房総、東京、沖縄の離島にそれぞれ現れた3人の男をめぐる周囲の人々の心の揺れにある。

4つの場面が入れ替わりながら物語は進むので全容をつかむのにしばらく掛かるが、設定が明確なので混乱することはない。

房総の港町に住む父娘の元へ、田代と名乗る青年が働きに来る。
次第に田代と打ち解け、娘は田代と同棲を始めるが、父は田代の過去に不審を持ち、ふたりの関係を手放しで喜べない。

東京では、大手企業に勤めるサラリーマンであり、ゲイの優馬がハッテン場でひっかけた直人と暮らし始める。
徐々に心を許していくのだが、直人との関係が深まるほどに、優馬は奔放なふりをしつつもゲイだということに引け目を感じている自分に自己嫌悪を募らせていく。

房総と東京はそれこそずっと薄暗く湿っぽい世界を歩いているような、悲壮さの漂う感じなのだが、沖縄のパートは軽く明るい雰囲気がある。
男女関係に奔放な母の気まぐれで沖縄の離島へ移住した女子高生の泉は、同級生で民宿の息子である辰哉に連れて行ってもらった無人島で、正体不明の男・田中と遭遇する。
泉と辰哉の穏やかな日常は、那覇に遊びに行った泉が事件に巻き込まれ崩れてしまう。
無人島で暮らしていた田中は辰哉の実家の民宿で働き始める。

 

遠く離れた3つの場所に現れた3人の男。
男との出会いから、登場人物たちの日々や気持ちが少しずつ変わっていく。

最初ははっきりと日付が明示されないので、田代、直人、田中は同一人物なのか?
と思うが、上巻が終わる頃にはどうやら別人らしいとわかる。
上巻では、読者は3人全員を疑っている感じなのだが、下巻に入ると「誰が犯人なのか?」という気持ちに切り替わる。
それとは逆に、上巻で物語の中の人々はそれぞれ、男のことを「風変わりだな」とは思っていても、殺人犯だとは微塵も疑っていない。
だが、物語が進むに連れ俄に「残忍な殺人事件の容疑者山神一也」の存在がクローズアップされる。
作品世界の中と外で、「3人の男」を見る目が逆転する。

この作品に出てきた3人の「容疑者」(ついでに刑事と親しくなる女)は、周囲の人から疑われる立場である。
物語の中に彼らの気持ちは書かれない。
相手が自分へ不審を感じているのを理解しながらも離れられず、信じて欲しいと言うわけでもなく、信じてくれないだろう、という諦めの中で終わりの時を待つ。

結局、山神の殺人の動機は明かされず、他にも謎のままに残ったことが非常に多かった。
謎は謎のままに、というのも効果としてアリだとは思うけれど、
山神の正体がわかるまでは非常に丁寧に登場人物たちの気持ちを追っていたのに、終盤いきなり雑になったから強い違和感がある。
うまく物語を畳めなかったのだろうか?
多層的で重厚な雰囲気を醸し出していたのにばっさり中途半端に断ち切られた感は強い。
根拠の無い予想だが、映画版は面白いのではないか、と思う。
小説は消化不良気味。

ところで、評価が割れているようだが、批判レビューは妙に感情的に物語とは別の次元を理由としてこき下ろしている感があり、こういうテーマは地雷という読者もいるのだなと思った。

(読了日:16/1/14)

吉田修一『怒り』
出版社: 中央公論新社 (2016/1/21)

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