まだ帰りたい家はない

まだ帰りたい家はない

5年前も3月11日は金曜日だった。
オフィスのスライド式壁収納が右に揺れ、ぶつかったら左に揺れてを繰り返していたのを妙に覚えている。

3月11日については当日も、その後の日々もすさまじく色々なことがあった。
これがひとつのきっかけとして、転職したし付き合っていた人には振られた。

だがたくさんの出来事や去来する思いの中で、一番明確に残っているのは、
なんでみんな家に帰りたいのだろう」
という疑問だ。

不思議だった。今も不思議で仕方ない。
なぜみんな家に帰りたがるのだろう。
家が近くならともかく、数時間、朝までかけて家に帰るような人も少なくなかった。

オフィスは安全そうだった。
電話はつながらないけど電気は点いているし水も流れていた。
一階のコンビニは食べ物が買い占められつつあったけれど、家の近くは大丈夫というわけでもなさそうだった。
実際、帰る途中に立ち寄ったコンビニもスーパーも棚はガラガラだった。

何より、オフィスにはたくさん人がいた。
ひとりきりで長い時間歩くことを覚悟しなくてはならない人も少なくなかっただろうに。

私は一人暮らしだったし、オフィスにいたかったけれど、時間が経つに連れ私の部署では
「帰れる人は家に帰るべき」
という空気が蔓延し、日が落ちた頃にオフィスを出た。

2時間少しぐらいかけて歩いて帰った。いつもは電車で渡る川を別の橋を使って渡った。
ガラケーだったから地図はわかりにくかった。
私の周りにもたくさんの人が歩いて帰っていた。
歩きながら、この人たちも帰りたいのかなと考えていた。
なんで帰りたいのかわからなかった。

黙々と歩いている私も、
「家に帰りたい人」
だと思われるのかと考えて、しっくりこなかった。

なぜあの日私は家に帰ったのか、5年目にして考えてみたけれど、
場の雰囲気に加え、
「家に帰りたい」
と思い続けている人と同じ空間にいたくなかったのかもしれない。
「私は別に帰らなくていいな」
と思うたびに、自分は帰りたい場所がないことを実感するのが嫌だったのかもしれない。

 

とは言え当時も今も、まったく感傷的な気分ではない。
ただ、「みんな家に帰りたいんだな」と不思議に思うのである。
帰りたい家があるというのは幸せなことだと思う。
たぶんそこは何より守りたい場所で、大切な人がいて、死ぬならそこでと思える場所なのだろう。
それは幸せなことだ。

不吉な予言をするつもりはないが、今、また何かが起きても、私は家に帰ろうとは思わないだろう。
この状況はあまり幸せなことではない気もするけれど、あの日から様々な選択をしてきて、その結果迎えた今日には肯定的な気分である。

「震災があったから」を枕詞にするのは、まるで起こってよかったように聞こえてしまうからいつも言い淀むのだが、
あの日、もうすぐ社会人2年目も終わり、これでいいのかな、と漠然とした不安を抱えた25歳だった自分を振り返る節目であるのは確かだ。

 

震災の2週間ほど前に四国へ行った。
出張だったけれど、せっかくアレをコレして4県全部まわったのに、思い出すことは少ない。

久しぶりにそのときの写真を見た。
5年前は春を喜ぶのは憚られたから、2月の終わりに眺めた梅だけが2011年の春の記憶。

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