心ほころぶ

心ほころぶ

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ぽつりぽつりと席の埋まる、私鉄の車内。

だいぶん夏の勢いを緩めた日差しが柔らかい午後、シートの端っこに座って難しい顔をして雑誌を読んでいた青年。ひとつ空けて1歳くらいの男の子をベビーカーに乗せているお母さん。

男の子はベビーカーの上でもごもご動き続けきゃっきゃと声を上げる。ガタゴト車体が揺れる音だけで、しんと静まり返った車内にはキンキンと響く。

向かいに座っていた私は、ああ、うるさいなと思っていた。子供が言葉にならない声を叫ぶ。ちらりと視線を送る先では、お母さんが子供の顔を覗き込む。ゆったりベビーカーを揺らす、余計に子供はきゃっきゃと笑う。

駅に着いて、お母さんが立ち上がった。ベビーカーを押してドアへ向かう姿を、よかったこれで静かになった、という気持ちで見送る。

青年の前を過ぎるとき、男の子が勢いよく彼に向かって手を振った。短いぷくぷくした腕が揺れる。男の子の表情は見えなかったけれど、きっとニコニコしていたと思う。

青年はびっくりした顔になって、でも電車を降りる母子を見送って、ふっと笑顔がこぼれた。

扉が閉まりゆっくり電車が動き始めても、彼には笑顔の名残があった。

 

お母さんは自分の子供が青年に手を振ったことも、彼の笑顔にも気付いていなかった。

私だけが見ていた、一瞬の世界の揺らぎ。

 

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